現実逃避

 「現実逃避」って、言葉自体が矛盾してませんかね?
 「問題からの逃避」はわかるが、現実から逃避することは不可能だ。なぜならそれもこれも逃避してる自分もすべては現実だから。
現実から逃避できるとしたら、それは死ぬことしかない。

 まあそれはいいとして、問題からの逃避についてですけど。
 逃避はすべからくダメなように言われますが、僕は戦略的逃避行動はおおいに肯定すべきものと考えます(日記ヘッダ参照w)
 「目の前の問題から逃げる」とは「答えを出さない」ことですよね。判断留保とか先送りとかモラトリアムとか、まぁいわゆるペンド状態にしてその答えをだすのを避けるわけですな。(政府の得意技でもあるw)
 しかしこれは生きるための戦略足りうるのだ。と思う。

選択とは他の可能性を捨て去ることである

 たとえばお昼にファミレスに入る。何食べよかな♪とメニューをながめて迷うアナタ。どれもこれもおいしそうでなかなか決まりませんw。そのうちウェイトレスがやってきます。連れはもう決めたみたい。まようなぁ、え〜い、じゃあコレでいいや!
 ・・・・・・・・・・・カレーですかーー;
 いや、カレーでいいんですけど(何 アナタはカレーを選んだ瞬間から、ほかのすべてのメニューを食べる可能性を捨てたわけです。(複数食う奴もいるけどさw
 おおげさですか?
 まぁ昼に何食うかみたいな「どうでもいい問題」はいいんですが、もっと深刻でシビアな問題になるとこのことは顕在化してきます。
 A子ちゃんとB子ちゃんのどっちと付き合うかとかw。(軽い?w)
 一人の彼女と付き合うというのは、少なくともその期間、地球上のすべての女の子と付き合うチャンスを捨てたことになるわけですよ。(複数食う奴も・・(ry
 さらにもっともっとシビアな問題。これはカレーでいいや、というわけにはいかない。進学か就職か、A校かB校か、医者か弁護士か、右派か左派か、別れる別れない、学校行く引きこもる(ぇ etc.etc... しかし時間は待ってくれない。。。
 あえて決断を保留する、答えを出さないとは、すべての可能性を残したまま時を待つことです。
宙ぶらりんのまま過ごすのはつらく不安定なものです。それにいくら待ってももしかしたら答えは出ないかもしれない。
 それでも自分の中で本当にどうしたいか、それがはっきりと見えないうちは、このつらくて不安定な状態にあえて耐えていくべきだ と僕は思うのだ。

 僕がそう思うのだのだ言うのは、 
これは知ってる人は知っている(当たり前 かの庄司薫氏の「赤頭巾ちゃん気をつけて」の中の「馬鹿馬鹿しさの真っ只中で犬死しないための方法序説」の話によるものなわけなのだが(てか要するに信者なのですがw。

 安易にまわりに流されて決めてしまえば案外楽になれるのだと思う。それもまあいいんだけどね。現実から逃げるなよ(゜Д゜)なんて言われてる人は、しかし、実は誰より自分に正直なんじゃないかなぁ。純粋といってもいいくらいに。適当に社会にとけこんで上手に生きていく人たちもいるけど、僕はそうじゃない人たちのほうがずっと好きになれる。僕自身そうだったりもするのだ。
 どうしていいのかわからないうちは、わかるまで立ち止まってればいい。逃げて待って、その先になにがあるのかはわからないけれど、少なくともそこにはまっさらな自分が残されていると思うから。
 そしてそれが一回こっきりの人生において一番大切なんじゃないかなぁと思ったりするのです。

 
 そういうわけだから、ギャルゲに逃避してる俺ってダメポ(;つД`)と自己否定なんぞする必要はないのである(ぇ

でもって 逃げろシンジ!(違