本心

たとえばKEYBOARDを打っている最中に、なぜか人差し指を蚊に刺される人がいる。なんてニブイやつ( ̄∀ ̄*)と思っていたら、今度は居酒屋で知らぬ間に小指の付け根を刺されていた自分がいた。
 あの時のやつの痛みと痒さは、今僕の小指にうずく感覚と同じものなのだろうか。彼女の目に映る夕暮れの空の紫色は、隣で見ている僕の感じた紫色と同じなのか。
 普段、僕たちはそんなこといちいち気にせず適当に相手の心を察しながら生活してるし、それで何の不便もない。

 海鮮たっぷりタンメンを食いながら、ほけ〜っと「モーニング」読んでたら気分は形而上の作者がそんなネタを振っていた。

 それでも人は時々、「ママンの気持ちがわからない」「彼/彼女が私の心をわかってくれない」「花穂の気持ちが(いやそれはもともとないからw」・・・といって悩んだりするようだ。
 相手の気持ちを正確に知りたい、知ってほしいと思い始めたとたん、お互いの心を100%知りえないという悩みに突き当たる。たとえば大切な人との人間関係に悩みが生じたりすると人は皆ヴィトゲンシュタインのごとく「他我問題」にとらわれ始めるのですね。

 あっさり言ってしまうなら、他人(ひと)の心の本当の所なんて結局わからない。僕らは痛みや想いを「言葉」にして伝えることはできるけれど、結局は「言葉」なんて無力だとしばしば思い知る。生理痛がどんな「痛み」か説明されても、男の僕にその本当の感覚はわからないように。

 相手の感じていることを自分も同じく感じたい、想いを正確にとらえたいという欲求は、その人との人間関係を大切に守りたい時に生まれるほかに、そもそも、微妙な均衡の上に成り立っているような、いつでも壊れそうなあやうい関係の場合もまったくそうなのである。

 そんな欲求がまったく無いかのような人もいますけどw。